にほんブログ村 外国語ブログ 韓国語へ
にほんブログ村 忍者ブログ
韓国語学習記録です。 2012年5月27日より
03
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 管理画面
    Podcast
    by PODCAST-BP
    ブログ内検索
    韓国語ブログ村ランキング
    リンク
    TV
    CNN
    プロフィール
    HN:
    Sam
    性別:
    男性
    職業:
    バックパッカー
    趣味:
    外国語学習
    自己紹介:
    韓国語専用ブログです。まだ入門者なので最初は日本語が多いと思う。いつか韓国語専用になるように頑張ります。
    カウンター
    フリーエリア
    最新コメント
    [08/15 Sam]
    [08/15 のんたま]
    [07/23 Sam]
    [07/23 sen-star]
    [07/06 Sam]
    [07/06 円覚寺]
    [07/06 Sam]
    [07/06 テヒ]
    [06/23 Sam]
    [06/22 nontama9]

    [PR]

    ×

    [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

    最強コンビ XD-D7300 &XS-SH15MC(追加コンテンツ:韓国語)



    あまり活躍の場のなかった中国語電子辞書に韓国語のコンテンツを追加しました。これで日英中韓国語のベストの辞書が即座に利用できます。僕の場合、教科書とか、ネット環境とか、IT関連グッズなんかは豊富にあるのですが、いかんせんオツムがついて行きません。ハッキリいって集中力が足りません。何かひとつのものに集中してわき目も振らずに遣り通すという集中力が足りません。今さらそんなことを言っても始まりませんが、そうなんです。

    さて韓国語ですが、年も明けまして、新しいプロジェクトが始まります。もともと僕は多言語学習(英中韓国語)をやっていましたが、この2年ほどは韓国語に専念していました。今年からは英、中国語も混ぜてやりますので、韓国語のペースはダウンします。今までよりももっとゆっくりのペースになります。たぶん時間的には20%ぐらいになると思います。

    こちらへ書き込むのも少なくなるかも知れませんが、でも忘れたくないので、勉強は毎日少しずづはやって行きます。長い間読んでくれてありがとうございました。

    にほんブログ村 外国語ブログ 韓国語へ
    にほんブログ村
    PR

    DMM英会話始めました。

    昨日から英会話を始めました。DMM英会話です。Rare Jobの方がハズレが無いように思うけれど、料金が魅力的です。4,900円で毎日50分のコースを選びました。予約していた先生からイキナリキャンセルされましたが、レッスンチケットを2枚もらいました。これでいつでも好きなときにレッスンを2回受けることが出来ます。

    この学校は講師が世界中から来ているのでマイナーな言語を学ぼうとするときも便利です。下の講師はリトアニア人でドイツの大学を出ていて、リトアニア語、ロシア語、英語、ドイツ語が話せます。おそらくは英語が一番下手かもしれない。多言語学習には向いている学校だと思う。






    なかにはこんな先生もいます。でもこの先生の授業は疲れると思う。こういったタイプが好きな学生もいるとは思うけれど、60のジーさん向きではないよね。(笑)


    (受けてみましたが、いい先生でした。プロモーションビデオみたいにはハイテンションではありませんでした。あのテンションでズーッとやったら先生も倒れてしまいます。(笑))


    韓国語に心残りがあるけれど、もう僕は英語モードになっています。深く韓国語に関わり過ぎたため、レッスンの際に韓国語が出てきて困りました。それほど深い仲になったのに分かれなければなりません。この日曜日にマニラに行きます。1ヶ月の缶詰特訓です。本来であれば僕の多言語ブログに書き込むべき内容ですが、実はこれから行く学校が韓国人の経営する英語スパルタ学校で、7~8割が韓国人学生という学校です。構内は英語オンリーですが、休日は母国語OKらしいので韓国語が聞けると思います。なので韓国語つながりということでこちらに書いていきます。 にほんブログ村 外国語ブログ 韓国語へ
    にほんブログ村

    『韓国語、やめた。もうたくさんだ。』



    衝撃的ではありますが、Steveさんが韓国語を断念しました。77日目です。

    この日に至るまでずっと彼のコメントを見てきましたが、その中で気付いたことを書いてみます。僕の方こそ初心者なのにえらく高ピーな書きっぷりです。ごめんなさい。

    第一に彼は先生の選び方を間違えている。お金を払ってプロから学ぶべきだと思います。彼の場合最低でも時給5,000円の先生でなければ十分な効果は上げれないと思う。英語を母語とする韓国語の先生でなければ初級段階で挫折してしまう。日本人の場合は言語的にも近いしいい先生がたくさんいるので、お金の面でも助かっているのです。そのあたりのことは以前書きました。

    クリーニング屋の店主とかゴルフ仲間とか安直に教えてもらったり、自分の能力を試したりするのではなく、相手を選ぶべきだったと思います。初心者の話をくみ取ったり、相手の能力に合わせて話をするには能力が必要です。多読多聴の彼の勉強方法は本を読んだりメディアの視聴には適しているかもしれないが、話すことには適していない。また外国語を学んだ経験のない韓国人に韓国語を学ぼうとするとどんなことが起こるのかと言えば:

    初心者にしゃべるときにはハッキリとクリアーな声で複雑な修飾をしないで簡単な文型でゆっくりと話さなければ理解できないということを分かっていない。自分の言語が語順には寛容だが助詞を正確に使わないとうまく伝わらないし、相手方はそれとは全く違う言語を母語としているということが分かっていない。要するに外国語とは何かが分かっていない。外国人とコミュニケートするということはどういうことかを理解していない。おそらく自国語さえも知らないであろう。それはワンワンと犬が鳴くのと同じであって、客観的に自国語を捉えることができなければ自国語さえも知っていることにはならない。

    相手の反応を見ながら相手が何を理解していないかを察知しそれを補足しつつ生徒の語彙を増やすことが出来る教授法を知っているプロから学ぶべきだ。プロは物凄い能力を持っている。プロからタダで教えてもらおうというのは間違っているし、プロでも韓国人のシロートでも大して変わりがないと考えるのならば先生という職業をバカにしている。毎日酒を飲んだくれている与太者と韓国語を外国人に教えるスキルを20年、30年と磨き上げてきたプロを同列で取り扱うがごとき態度は人間の知的活動の集積に対する冒涜だ。それがもし同列で論じられるものであるならば人類は文明を持ち得なかったであろうと思う。

    そして生徒のほうも先生に果敢に、されど礼を失することなく挑戦していくべきだ。そのなかで双方が学び取るんだと思う。初歩の段階では間違ったことをしゃべっても畳み掛けるようにしゃべり続けるべきだと思う。そのなかでその外国語を学んでいくんだと思う。少し厚かましいぐらいがいい。彼の学習態度はスノビッシュであり、衒学趣味的だ。欧米の知識人には多いタイプかも知れない。エープリルフールが好きなところも。



    僕は僕のやり方でやっていこう。
      








    (追記)

    BBCは1950年代から空飛ぶペンギンシリーズを作り続けています。







    にほんブログ村 外国語ブログ 韓国語へ
    にほんブログ村

    多言語学習の恐怖

    昨日まで僕の多言語能力は英・中・韓国語の順だと思っていました。語彙・語法
    でもそうであると思っておりました。実際に語学としてのレベルは中国語の方が
    韓国語よりずっと上だと思います。

    今朝、かつての僕の中国語Skype先生が日本旅行をしたので、その印象などを聞き
    たいと思って、レッスンを取りました。中国語は2年ぐらい話していないので、
    レッスンの30分前から過去に勉強した教材の音を流して耳を慣らし、単語を拾って
    会話に備えました。

    レッスンが始まりました。Samさん 唸る唸る。なかなか中国語が出てきません。
    先生は日本語は分かるけれども韓国語は分からない生粋の中国人(営口人)です。
    ですので中国語だけで話そうとしました。しかし韓国語が出てきます。
    アイグー。オットッケ~。

    僕の頭は今、韓国語に占拠されているみたいです。英語と日本語は話そうとすれ
    ば相槌以外に他の言語が混じることはありません。中国語はダメですね。
    中国語は多言語使用に堪えないレベルのようです。中国語をメインに勉強を
    再開すればやがて中国語が出て来るでしょうが多分韓国語はダメになります。
    直近の時間に何を学習したかによって出やすい言語と出にくい言語があるようです。


    今日の中国語レッスンには焦りました。たぶんあるレベル以上にならないとこの問
    題を抱えたままになる。中国語がうまくしゃべれないのです。今までは自由に多言
    語間でスイッチできるものだと思っていました。そうできるようになるためにはあ
    る程度のレベル(中検準1級、ハン検2級)が必要みたいです。


    僕の場合は第3、第4言語を話すためには直前にチャージしておかないと自由には
    切り替えることができないみたいです。 にほんブログ村 外国語ブログ 韓国語へ
    にほんブログ村

    英語を話していても「ネ」と言ってしまう。

    韓国語をやる前は中国語と英語をやっていました。久しぶりに英語のSkypeレッスンを受けてみました。フリートークです。実はこの学校のシステムでポイントを使わないと6ヶ月でポイントがなくなってしまうんです。前回3回ほどは予約だけして、ポイントの延長をしていました。

    今回もそのつもりでしたが、その学校のNo.1の先生のスロットが開いていたので、ホントに受けてみました。2年近く英語を話していません。外国語で話そうとすると、韓国語が出てくるのです。その学校は韓国人の設立者がフィリピンに作った英会話学校で、韓国人の生徒をメインに教えていますが、Skype英会話学校とも提携しているのか、その学校の先生たち(フィリピン人)のレッスンをSkypeで受けることが出来ます。

    そのため先生もある程度は韓国語が分かるので、僕が英語に韓国語を混ぜて話しても、それほど違和感はなかったようです。混ざっていたのは最初の5分ぐらいで、後は英語で竹島談義になりました。(笑)

    でも不思議なんですが、最後まで相槌は韓国語の「ネ」でした。僕自身もシックリくるし、先生も嫌がっていなかったので、それで通しました。英語の相槌はもう打てなくなってしまったようです。

    こんな男に誰がした ♪ (笑)



    にほんブログ村 外国語ブログ 韓国語へ
    にほんブログ村

    秋の日の ヴィオロンの

    秋の日の
    ヴィオロンの
    ためいきの
    ひたぶるに
    身にしみて
    うら悲し。

     

    『チース』 Samです。

    このところチョッとスランプです。
    東京から帰ってから、やる気がありません。

    僕って絶好調のときはブログ書きません。書いてるときはトラブッているときかもしれません。

    いわゆる祭りのあとの寂しさかと思います。韓国語を本格的にやり始めてちょうど一年です。一年というのはチョット短い気がしますが、2,3年ごとに言語を変えてきたので、そろそろそういう季節かもしれません。

    僕の趣味は言語系が多いので、英語をやるか、中国語をやるかです。それ以外の言語はこの年になると、多分しません。するとしても学生のときにカジッたドイツ語かバックパックするタイ、マレーシア、インドネシアの言葉になると思います。

    韓国語に完全に興味がなくなった訳ではないのですが、しばらく休むかもしれません。ゆっくり行けばいいんだと思う。のんびりやっていこう。でも完全に興味がなくなる前に、韓国へ一度行ってみたいな。

    10日前に小学校の同級生が死んでいました。今日知りました。自分が大きくした会社は息子に任せて、自分はバリ島で悠々自適の生活をしていた。お盆だからと帰ってきて事故で死にました。僕の父親は66歳で癌で死にました。僕の家系の男は長生きできません。僕もそんなに長くないと思う。嫁さんは『死ぬ、死ぬ、というヤツで早死にしたヤツはおらん。』と怒鳴り散らして励ましてくれます。こっそり死んだりしたら、棺桶から引きずり出されて往復ビンタです。オチオチ死ねません。四国の女はゴツイんです。(笑)


    げにわれは
    うらぶれて
    ここかしこ
    さだめなく
    とび散らふ
    落葉かな。

     
     ーー落葉   上田敏 『海潮音』より ーー

    にほんブログ村 外国語ブログ 韓国語へ
    にほんブログ村

    村上春樹のエルサレムスピーチで学ぶ多言語学習

    “Jerusalem Prize” Remarks
    http://www.47news.jp/47topics/e/93880.php?page=all

    Good evening. I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
    Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and generals tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling lies. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?

    My answer would be this: namely, that by telling skilful lies--which is to say, by making up fictions that appear to be true--the novelist can bring a truth out to a new place and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth-lies within us, within ourselves. This is an important qualification for making up good lies.

    Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are only a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
    So let me tell you the truth. In Japan a fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. The reason for this, of course, was the fierce fighting that was raging in Gaza. The U.N. reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded city of Gaza, many of them unarmed citizens--children and old people.

    Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
    Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me-- and especially if they are warning me-- “Don’t go there,” “Don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that”. It’s in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
    And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

    Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

    “Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”

    Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
    What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

    But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.

    I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on the System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories--stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

    My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield. He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
    My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

    I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.
    Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.
    That is all I have to say to you.

    I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I would like to express my gratitude to the readers in Israel. You are the biggest reason why I am here. And I hope we are sharing something, something very meaningful. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today. Thank you very much.



    http://book.sina.com.cn/news/c/2009-03-09/1024252129.shtml

    今天我作为一个小说家来到耶路撒冷,也就是说,作为一个职业撒谎者。

      当然,并不只有小说家才撒谎。政治家也撒谎,外交官和军人有时也说他们自己的那种谎,二手车销售员、肉贩和建筑商也是。但小说家的谎言与其他人的不同,因为没有人会批评小说家说谎不道德。甚至,他说的谎言越好、越大、制造谎言的方式越有独创性,他就越有可能受到公众和评论家的表扬。为什么会这样呢?

      我的回答是:通过讲述精巧的谎言,通过编造看起来是真实的虚构故事,小说家能够把一种真实带到新的地方,赋予它新的见解。在多数情况下,要以原初的形态领会一个事实并准确描绘它,几乎是不可能的。因此我们用虚构的形式取而代之。然而,为了完成这点,我们必须首先厘清真实在哪儿。要编造优秀的谎言,这是一种重要的资质。

      不过,今天我不打算撒谎。我会努力尽可能地诚实。一年里有几天我不说谎,今天碰巧就是其中之一。所以让我告诉你们一个事实:很多人建议我不要来这儿领取耶路撒冷奖。有些人甚至警告我,如果我来,他们就会策划抵制我的书。此中的原因,当然是肆虐于加沙地区的激烈战争。联合国报道,有超过一千人在被封锁的加沙城内失去了生命,其中不少是手无寸铁的公民——孩子和老人。

      收到获奖通知后,我多次问自己,是否要在像这样的时候到以色列来,这是否会造成一种印象,让人以为我支持冲突的某一方,以为我赞同某国决意释放其压倒性军事力量的政策。我不愿予人这种印象。我不赞同任何战争,我不支持任何国家。当然,我也不想看见我的书遭到抵制。

      然而仔细考虑,我下定决心来到这里。原因之一是,有太多人建议我不要来。或许,就像许多其他小说家,对于人们要我做的事,我倾向于反其道而行之。如果人们告诉我——尤其当他们警告我——“别去那儿,”“别做那个,”我就倾向于想去那儿,想做那个。这是我作为小说家的天性。小说家是异类。他们不能真正相信任何他们没有亲眼看过、亲手接触过的东西。

      那就是我为什么在这儿。

      这并不是说我来这儿,是来传达政治讯息的。当然,做出是非判断是小说家最重要的职责之一。然而,把这些判断传达给他人的方式,要留给每个作家来决定。我自己宁愿把它们转化为故事——趋向于超现实的故事。但请你们允许我发表一条非常私人的讯息。这是我写小说时一直记在心里的。我从未郑重其事到把它写在纸上,贴到墙上,我宁愿把它刻在我内心的墙上:

      “在一堵坚硬的高墙和一只撞向它的蛋之间,我会永远站在蛋这一边。”

      其他人会不得不决定,什么是对,什么是错;也许时间或历史会决定。如果一个小说家,不管出于何种理由,所写的作品站在墙那边,那么这样的作品有价值吗?

      这个隐喻的涵义是什么?有些情况下,它实在太简单明白了。轰炸机、坦克、火箭和白磷炮弹是那坚硬的高墙。蛋是那些被碾碎、被烧焦、被射杀的手无寸铁的平民。这是该隐喻的涵义之一。可这不是全部。它有更深刻的涵义。这样来想,我们每个人,或多或少,都是一个蛋。我们每个人都是一个独特的、无法取代的灵魂,被包裹在一个脆弱的壳里。我们每一个人都是。而我们每个人,多多少少都面对着一堵坚硬的高墙。这堵墙有个名字:体制。体制应该保护我们,但有时,它不再受任何人所控,然后它开始杀害我们,及令我们杀害他人——无情地,高效地,系统地。

      我写小说只有一个理由,那就是使个人灵魂的尊严显现,并用光芒照耀它。故事的用意是敲响警钟,使一道光线对准体制,以防止我们的灵魂陷于它的网络而自我贬低。我完全相信,小说家的任务是通过写作故事来不断试图厘清每个个体灵魂的独特性——生与死的故事,爱的故事,使人哭泣、使人害怕得发抖和捧腹大笑的故事。这就是为什么我们日复一日,以极其严肃的态度编造虚构故事的原因。

      我的父亲去年去世,享年九十。他是位退休教师,兼佛教僧人。读研究院时,他应征入伍,被派去中国打仗。我是战后出生的孩子,经常看见他每日早餐前,在家里的佛坛前长时间虔诚地祈祷。有一次,我问他为什么这样做,他告诉我他是在为那些在战争中死去的人们祈祷。他说,他为所有死去的人祈祷,无论敌友。我的父亲死了,他带走了他的记忆,我永远不可能了解的记忆。但潜藏在他周围的死亡气息却留在了我自身的记忆里。这是少数几样我从他那儿承继下去的东西之一,其中最重要的之一。

      我们都是人类,是超越国籍、种族、宗教的个体,是脆弱的蛋,面对着一堵叫作“体制”的坚硬的墙。我们没有获胜的希望。这堵墙太高,太强——也太冷。假如我们有任何赢的希望,那一定来自我们对于自身及他人灵魂绝对的独特性和不可替代性的信任,来自于我们灵魂聚集一处获得的温暖。

      花点时间想一想这个吧。我们都拥有一个真实的、活着的灵魂。体制没有。我们不能让体制来利用我们,不能让体制失去控制。是我们造就了体制而不是相反。

      那就是所有我要对你们说的话。我很荣幸获得耶路撒冷奖。我很荣幸我的书正被世界上许多地方的人们阅读着。我也很高兴今天有这机会向你们演讲。

    にほんブログ村 外国語ブログ 韓国語へ
    にほんブログ村



        ◆ graphics by アンの小箱 ◆ designed by Anne ◆

        忍者ブログ [PR]