[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2014年にLineを始めました。それまではLineってなにか知りませんでした。
退職したら海外留学したいと思って、在職中から留学準備をしてきました。英語、中国語、韓国語を勉強しましたが、最初の留学地に選んだのはソウルでした。外国で語学を勉強するのってどういうことかよくわからず、ちょっと不安もありました。
自分でカナダ韓国語学院という学校を選び、1週間のコースで渡韓しました。クラス分けテストをして、四つぐらいのクラスに分かれました。僕のクラスは僕を入れて6人のクラスで、僕以外はすべて女性でした。出身地と年齢がみんなバラバラでした。東京の2人が20歳代後半、横浜の女の子が高校1年生、大阪出身の方が30歳後半、僕は四国出身で62才そして沖縄出身の彼女はちょうど30才ぐらいだったと思います。M先生はたぶん20歳代後半だったと思います。
クラスの授業だけではなしに、一緒に映画を見たり、ご飯を食べに行ったり、ミュージカルを見たり、課外授業でキムパップを作ったりして仲良くなってきました。1週間の短期留学がもうすぐ終わろうとしたとき、女の子同士は連絡先をLineで登録しあっているみたいでした。僕はジーさんでLineもやったことがありませんでした。そんなとき、沖縄出身の彼女が僕を『M先生のクラス』というLineグループに入れてくれました。女の子の仲間になれてとても嬉しかったです。(笑)
級友が銀行口座を韓国の銀行で作りたいというので、一緒に行ってお手伝いをしたり、他のクラスの人たちと大勢(20人ぐらい)で一緒に食事に行ったりしました。学校主催のサヨナラパーティーに行ったときなどは高1の女の子から『オッパ』と呼ばれて有頂天になっておりました。彼女は僕を『ハラボジ』と呼んでは可哀そうだと思って『オッパ』と呼んでくれたみたいです。それを聞いた先生や同級生は『Kちゃん、オッパって呼んじゃダメ』って言ったけれど彼女は構わず僕のことを『オッパ』と呼んでくれています。それ以来Lineでも僕のことを『オッパ』と呼んでくれる彼女が愛おしい。(笑)
たった1週間の短い時間だったけれど、なぜか何でも話せる同志的な感情が芽生えました。帰国後はそれぞれの人がそれぞれの生活をおくっているけれど、Lineでよく連絡を取り合いました。『今度東京へ行くから、会おうよ』とか『(有名なエンターテイナー)のチケットがあるから行きませんか』とかのお誘いがあれば東京でプチ同窓会を開いたり、その間の情報交換をしたりしています。別れてから半年ぐらいは多かったけれどだんだん少なくなってきていました。
今年の5月30日には久しぶりに連絡があり、話の中で高1(当時)の彼女が今ソウルにいるということを知りました。俄然話題が盛り上がります。
『韓国の大学に入学して4年間勉強します。』
『どこの大学なの?』
『ソウルにある大学ですよ。いまは語学堂で勉強しています。』
『みんなに会いたい。』
『僕もみんなに会いたいな。みんなのことが懐かしくて泣いているんだよ。』
『オッパ、泣かないで。』
『アイゴー。オッパはとても心配しているんだよ。江南のクラブへは行ったらダメだよ。カッコいいナムジャがいっぱい居るから。』
『オッパ、心配しないで、絶対に行きません。』(笑)
すべて韓国語でやり取りします。韓国語クラスの雰囲気がよみがえります。
ああ、懐かしい。みんな、あれからそれぞれの道を。どこかでもう一度会いたいな。
フィリピン | アメリカ | 日本 | |
殺人 | 6.4 | 5.2 | 0.5 |
強盗 | 9.5 | 141.8 | 3.4 |
強姦 | 2.9 | 28.6 | 1.2 |