こういった方向からのアプローチが一番好きだ。多言語を学ぶ人は韓国語だけに興味があるわけではなく、言語そのものに興味があるから。僕はあまり意識はしていないがある命題を持っていると思う。それは「母語(の文法)が自分の考え方を支配しているのではないか?」というものである。
戦後生まれの僕でも戦前戦中のような極端な情報閉塞性やイデオロギー過剰の社会に嫌悪感を覚える。だから20年前、テレビで中継されるスポーツが野球ばかりの状況が我慢できなかった。選択の余地の無いファッショ的な状況がイヤだった。もっと多様であるべきだと思っていた。選択の余地の無いものを押し付けられる状況が我慢できなかった。
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