僕にも文通をしていた韓国人の友達がいました。彼の名前は『Choi Joang Yap』。英語でやり取りしていたので漢字の名前を思い出せない。今から35年前のことです。
なぜ彼のことを思い出したかというと、佐野洋子の『親愛なるミスタ崔:隣の国の友への手紙』をネットで見たのがきっかけでした。でもその本はまだ読んでいません。
その当時、僕は貿易会社で働いていた。堺市に住み、堺筋本町駅近くの会社に通っていた。彼とはおそらく『Mainichi Daily News』のPenPal紹介欄で知り合ったと思う。あまり古いことで、よく覚えていない。2カ月に1通ずつのやり取りで、1年半ほど続いたと思う。相手の人が女性だったら、もっと続いていたかもしれない。(笑)
その当時、韓国語を習うことは、今と比べるととてもハードルの高いことで、本格的に韓国語を習い始めることはせず、しばらくして始まったNHKのテキストを見る程度でした。都会の貧しいサラリーマンの僕が韓国語を習っても将来それを使う機会があるかどうかも分からなかった。今みたいにテキストも豊富ではありませんでした。会社は台湾・香港・シンガポールとの取引がメインの貿易会社でした。韓国との取引も少しはありましたが取引はすべて英語でやり、韓国語が必要になることはありませんでした。
『世界』の『韓国からの通信』などを読んで洗脳されていた僕は、韓国人に対してシンパシーを感じていたし、偽善的な罪悪感をも持っていた。しかし僕の手紙は、どことなく『上から目線』のいけ好かない内容になっていたと思う。当時の若い日本人にありがちなことかもしれません。でも彼は『恨み辛み』は一切書かずに紳士的な内容でした。そうじゃない本音ベースの内容を期待していたのかもしれない僕は、しばらくすると文通に飽きてきた。最終的には僕が返事を書かなくなったことで、音信不通になってしまったけれど、いまでもなぜか懐かしい。
今ならSkypeで話ができると思うんだけど、『彼』、どうしているかな。
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